

昭和もまだ四十年頃、大学受験をする割合がやっと一五パーセントを超えようとしていた頃の大学志願者たちが、どうやって大学に関する情報を手に入れていたかを考えてみよう。彼らは進学先をどうやって決めたのだろうか。またその大学に受かりそうかどうかを、どうやって判断したのだろうか。大学選びに関しては、飛び切り成績がいい人を例外として、多分わけの分かった、地元の大学を候補にしたであろう。自分の高校から毎年何人か先輩たちが入学しているような。また親戚の子たちが入学しているような。その先輩や親戚の子たちから話を聞いて情報を得たに違いない。また、世間の噂や評判で大学のイメージをつくっていったはずだ。当時はこれといったまとまった情報源はなかったし、大学に内容を聞いても、お高くとまっていた当時の大学関係者からは、笑われるのが関の山だったであろう。
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「学生OK、未経験者歓迎」の募集広告でアルバイト講師を次から次へと採用し、一斉に授業方法を教え込み、繁忙期には専任講師でまかなえない授業の穴埋め講師として使い、繁忙期が終われば「授業がありません」として事実上の解雇を通告する。そしてまた次の繁忙期には「学生OK、未経験者歓迎」で講師をかき集める。安上がりな方法なので、じわりじわりと規模は大きくなっていますが一度でも通ったことのある生徒、一度でも働いたことのある講師は口をそろえてその個別指導塾を非難します。受験情報や受験実績もさまざまです。独自の目的と方針をしっかりとかかけている個別指導塾は派手ではありませんが着実に合格実績を伸ばしています。その一方、人件費を削ることで儲けばかりを追究する個別指導塾では、中堅どころの高校や大学どまりで、まれに教室に一人や二人、名の通った学校に合格しているくらいです。何を目指すのかがはっきりしていないために、受験情報も対策も中途半端なのです。
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人気講師にもさまざまな型がある。中でも目立つのは満足度がひたすら高い講師と、満足度もある程度高いが、不満度もある程度見過ごせない数字でカウントされる講師だ。後者の場合、本物志向のどちらかというと不器用な講師が多い。たとえば現代文の授業としよう。生徒は予備校ならば部分の理解が全体の把握に通ずるというコンセプトで、文章をセンテンスごとに分解し、その関係を図形化して解いてみせたりする授業に期待する傾向がある。要するに手っ取り早く得点に結びつく方法を期待するのだ。これに対して本物志向講師は、テクニカルな読解手法を断固拒否する。文章というものは書き手の人格全体から発したものである。であるならば文章を切り刻むなどはもってのほかだ。書き手を切り刻むも同然である。繰り返して全体を読み、熟読玩味すれば文章の言わんとするところが、書き手の息遣いとともに分かると主張するのである。その状態に達すれば、部分など自ずから分かる。時間はかかるが、その職人技を会得せよ、という授業なのである。この手の授業は講師の真意が伝わり、共感した生徒からは熱狂をもって迎えられ、テクニックを求める生徒からは拒絶されるのである。